ブランドストーリー

Brand Story #3

「反骨心」が
すべての原動力

街には街の社会があるように、田舎には田舎特有の村社会がある。

今から約十年ほど前のことだが、20代で突然父を亡くした。
当時大阪でサラリーマンをしていた自分が、
米づくりを始めるきっかけになった人生のターニングポイントだ。

勤めていた会社を辞め、戻ってきた故郷は
幼少の頃とほとんど変わらない景観が広がり、緩やかな時間が流れていた。
喧噪で忙しない街に居たからこそ気付く田舎の魅力がそこには溢れていた。

この景観を守るために、米づくりをすると心に決めたわけだが
もともと農業が好きなわけでもなければ、どうしてもやりたい仕事でもない。
そんな若干後ろ向きな気持ちも相まって不安だけが募っていた。

平成二十六年の春、前途多難な米づくりがスタートする。

個人事業とはいえ米づくりをする上で、地域の人たちに迷惑をかけることもあると思い
挨拶に回った。そんな心遣いも虚しく、年配の米農家とやってることは同じにも拘わらず、クレームをつけられることもあった。

現在の価値観では、およそ理解できないような理不尽な仕打ちを何度も受けた。
その度に、憤慨し、嫌な思いもたくさんした。
挫折しそうなときもあったが、「負けてたまるか!」と自分を鼓舞し、
成長への糧にしようと前向きに捉え、米づくりに勤しんだ。

一面黄金色に光る田んぼを前に思い出す。
少年時代の記憶、昔、父がしていたことや教え―――。

昭和の時代、農家の子どもたちは
田植えや稲刈りの時期になると家族総出で農作業をさせられたものだ。
同世代では珍しいが、私もこうした経験を経て育ってきた一人だ。

私が小学生の頃には、農業の機械化や効率化が進み
子どもが農作業の手伝いをする家庭も珍しくなっていた。
そんな時代にも拘わらず、
学校が休みの日になると決まって田んぼに連れて行かれ
嫌々ながら手伝いをさせられていた。
当時の様子が脳裏によみがえる。

ふと気付いたことがある。

農作業の手伝いは貴重な自然教育だったこと。
知らず知らずのうちに身についていた幼少期の実体験が、
現代を生きる力の礎になっていることを。

苦節十年。故郷の景観は変わることなく、今年も米づくりが始まる時期を迎えた。
「この景観を残すためにできることは何でもやる!」

少年マンガの登場人物のように屈託なく語るのが、当社の創業者 田先洋平です。
彼がつくったお米は、食べた人に勇気と活力を与えてくれそうです。

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#2. 自然という名の「学び舎」を残す
それが私たちの使命です。

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#3.「反骨心」がすべての原動力

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#1. お米を選ぶ基準に
「産地応援」があってもいいと思う

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